神様、仏様にすがる気持ちは日本人の心の中に確かに存在する

神様、仏様!と、普段信仰心がないのに、都合が悪くなったり窮地に陥った時だけすがるのが無宗教派の多い日本人あるあるではないのでしょうか?

この「すがる」気持ちはどんな時に感じますか?

仏様にはお願いできませんが、神様にはお願いしてもいいって知ってました?
日本人は昔から「お天道様が見ている」と言って、自分を戒めていましたよね。
そう、お天道様が見てらっしゃいますから、あとは神様に祈って天命を待つのもいいのではないのでしょうか?

神様、仏様!すがる気持ちを持つ無宗教派の日本人について

特定の宗教を信仰する習性がない人の方が多い日本人。

 

お盆、ハロウィン、クリスマス、お正月、バレンタインデーと、和洋折衷でそれぞれの宗教的儀式の意味と言うよりイベントごととして受け入れ生活に取り入れていますよね?

 

12月25日のクリスマスで盛り上がった後、すぐ一週間後には初詣に出掛けますしね。

 

このように、キリストさまからの神様からの仏様~ですから、宗教を信仰するというよりも、自分たちの都合のいいように儀式を取り入れているというような感じでしょうか?

宗教を信仰している人もたくさんいますが、ほとんどの日本人はこのような感覚なのではないのでしょうか?

 

自分たちの都合のいいように神様仏様と祈ってしまいますが、決して神様仏様キリスト様を軽んじているわけではありません。

 

初詣には新年の始まりにふさわしく日頃の無事を感謝しつつ、新しい年も無事に過ごすことができるよう祈念しますし、バレないからと言って悪い事をしてはいけないという戒めのような存在として、神様は日本人の心に存在していると思います。

神様、仏様にすがるのは、愛する家族のこと

達成できるかできないか、力を発揮すべき時に発揮できるのかできないのか。

例えばスポーツ。
長い時間をかけ、たくさんの練習や訓練を経て試合に臨む。
この時、勝負の明暗を分けるのは「努力」だと思います。

中学校や高校などの部活は、同じ学年の子供たちが力を競い合います。そんな時に差が出るのはやはり、どれだけ練習に打ち込んだのか、そして努力したのかだと思います。

そういったことが、僅差での勝敗を分けると言っても過言ではないはずです。

そんな時に、あとは「神様、仏様」と天に祈る他ないのでしょうか。

 

こういったこととは別に、神に祈ることしかできないこともあります。

例えば、家族の病気や飼っているペットの病気。
治してあげることも変わってあげることもできない切ない状況ですよね。そんな時、現実的にできる限りのことをして、あとは神様に祈るのみですよね。

 

神様は何も解決してくれないけれど、心のよりどころとして常に私たちの中に存在してくれていると思います。

神様にはお願いしてもいいんです。仏様には感謝です。すがる思いの持って行き場所について。

神道とは、『すべては神のご加護を』と言う精神です。
商売繁盛や無病息災を願うのも神社ですよね?

志望校に合格しますように…や、いいご縁がありますようになど、神様に願を掛けられる神聖な場所でもあります。

 

仏教、特にお釈迦様では、お釈迦様にお祈りすることはなく、信仰により人々を導くという考えに基づいています。

物事が起こるすべてに原因と要因があるという考えで、成功には成功の失敗には失敗の原因と要因があり、そのことによりしか結果は生まれないという考えです。
ですから、奇跡や偶然などは存在しません。

 

努力したからあとは神様に祈るだけ。と言う考えは仏教にはありません。

 

受験勉強に例えると、「合格できるように勉強しなさい。お守りなんて買いに来ている暇があるなら勉強しなさい。」と言うのが仏教です。

 

「勉強をしました。あとはお守りを買って神様にお参りするだけです。合否は神のお導きです」と言うのが神道です。

 

神道ではひたすら神様にすがって祈ってお願いすることは認められています。

病気でつらい時には神や仏にすがってしまう。人間だもの。

気持ちが正常に保てない時には、何かに頼りたい気持ちになります。
救いを求めて、神様仏様にすがる気持ちが出てしまうのは仕方のないことだと思います。

神様は天にいらっしゃいますが、仏様は自分の心の中にいると言われています。

自分の心の中にいる仏様はどんな仏様だと思いますか?

柔らかな笑みをたたえあなたをやさしく見守ってくれていますか?それとも、怖い顔をしてこちらをにらみつけていますか?心の中に仏様を感じることができませんか?

 

自分の道がわからなくなってきた時には、自分の心の中にいる仏様と会話してみてください。

祈りすがる気持ちは神様やキリスト様に。自分の心には仏様を。

キリスト様や神様にはお願いをしたり、すがったり助けを求めたりすることは自然なことです。

 

ですが、仏教では仏様にお願いしたりすがったりすることはしません。

 

自分と向き合い、仏様の教えにより悟りの道を開いていくの仏教の教えです。

例え神と言う存在であっても、他に依存する気持ちや心があっては、悟りを開くことはできません。

 

『神様、仏様』ではなく『神様、キリスト様』が本当なのでしょう。

自分と向き合う時には、教えを。
自分が努力した後、最後にすることは「神頼み」

日頃から信仰心のない日本人のあるあるですよね。

 

自分の都合が悪くなったら「神様助けて!」なんて浮かんでしまいます。
きっと、神様も苦笑いを浮かべこちらを見つめているでしょう。